親御様のお話だと、 マイコプラズマが新年早々に近隣の小中学校で、 ごく短い期間ではあるけでど流行したそうです。 おそらく、その時期に塾内に持ち込まれたものと思われます。 だって、インフルエンザに決して罹るまいぞと、 それが流行すると思われる期間は、 ほぼ絶対的に人混みといわれるところへは行きませんでしたから。 デパートなどの繁華街へ出かけるなんてもってのほかで、 列車にだって乗ることはなく、 もっぱら自分のクルマで移動をすませたくらいです。 このくらいに徹底していても、 それでもまんまと罹患してしまったのは、 紛れもなく自分自身の責任です。
自塾のニュースレター「KUAMKKO CLUB」の執筆に、 「文友会」を通じての全国の塾長先生とのおつきあい、 あるいはその会の機関誌「文友倶楽部」の執筆、 アイブライトさんのホームページへの投稿というぐあいに、 かなりなプレッシャーを感じての仕事が続いていました。 とはいえ、このプレッシャーというもの自体が妙な存在で、 私が文筆活動に専念できる立場であったなら、 そんなにも強迫観念を抱かずにいられたのでしょうけれど、 塾を本業としながらの活動なので、 体力的にも精神的にも限界を超えてしまったのでしょう。 そのことに自分が気づかなかったのです。 それがマイコプラズマによる急性肺炎を発症した要因です。
先日、私の病状を初めて知った「文友会」の会員さんから、 お手紙を頂戴しました。 「だから言わんこっちゃない。師匠が倒れたり、 寝込んだり、まして亡くなってしまったら、 悲しむ人がいっぱいいます。」 温かいお叱りのお手紙に感謝するとともに、 自分の存在の意外な大きさに驚いたのです。 だって、自分が世間様のもとでどんな存在かなんて、 日頃は意識してませんからね。 (自分が倒れたことで悲しむ人がいるんだな・・・。) 「文友会」の会員さんの中で私のことを「師匠」と 呼んでくださる方が何人かいらっしゃいます。 そのたびにそのように称される自分と、 ひいてはそう称してくださる方々をも否定する自分がいます。 (自分よりも立派な塾長先生から「師匠」 と呼ばれる自分って何? そんなにも大した存在じゃないのにな。 それに、いつまでも自分のことをそう称して くださるはずもいないのに・・・と。) これは私のことを「先生」と呼んでくれる塾生や、 そう言って頼ってくださる親御様に対しても同じです。 (この人たちにとって自分はいつまで 「先生」という存在なんだろうか。 病気になると心配してはくださるけれど、 自分たちと関わる期間を過ぎてしまったら、 それっきりなんだろうな・・・。) とはいえ、「じゃあ、アンタはどうなのよ?」 と言われると、実は反論できないのです。
歯が痛いと言って歯医者に駆け込むときだけ「先生」で、 治療期間中に思うことは、「早く歯医者との 今回の関わりから解放されて楽になりたい」となり、 期間が終了すると「先生」の存在すら忘れているわけですから、 その歯医者からすると私ほど身勝手な患者はいないでしょう。 ・・・と、まぁ、こんなふうに考え込んしまって、 いつの間にか自分の心のもっとも深い淵にはまり込んだ挙げ句に、 人間不信の感情に支配される自分がいるのです。 実はこれが私の病気の元凶です。 病気という文字そのものです。 「病は気から」。「気が病む」のです。 周囲からは考えすぎだと叱られっぱなし。 あなたも私も世間一般の人。 一介の人なんだよ。 教祖様じゃあるまいし。 それとも、いつまでも自分のことを尊敬していてほしいワケ? 人にはそれぞれの状況があって、 その時々によって変わっていくものなんだよ。 あなたの歯だっていずれは治るじゃない。 いつまでも「先生」と言ってあなたにつきまとわれたら、 その歯医者さんはさぞかし大変だと思うよ。 あなたはその歯医者さんを、自分が頼るべきときだけ 頼ればいいんだよ。 人はその方が長くつきあえるんだよ。 自分も他人様も、超ご都合主義でいいじゃない。 あなたはよく他人様を否定するけれど、 それは、その人たちとつきあっている自分のことも、 同時に否定していることになるんじゃないの?
他人様を否定するということは、 自分に対しても否定するということ・・・。
つづく・・・
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